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 魔王の晩年といわれる時代、彼はずっと歌を口ずさんでいた。誰も知らない歌は、小さく小さく歌われ誰の興味も引かなかった。
 それは私の半身が去ってから始まり、彼が目を閉じるまで続いた。
 空高くに描かれた巨大な構成は余りにも巨大過ぎ、誰にも気づかれなかった自信があると魔王は語っていたと思う。
 それも既に大昔の話だ。
 私の背を撫でる手は空虚に満ちている。
 
 
 
 
 
 
「じゃあな」
 親族に囲まれた晩餐が終わり、部屋へ戻るときに発した言葉はそんなものだった。
 それが最期の言葉だと気づいた者はいなかったろう。子や孫を連れて遊びに来ていた娘たちに、朝に弱い彼が、朝のうちに実家を後にする彼女らに普段言う言葉だったから。
 翌朝魔王の姿は村から消え、さらに翌日の昼になって、元ローグタウンの、湖の畔の苔むした石碑のようなものの横で発見された。
 あの不世出の天才と言われる白魔術士は既にこの世を去っていたし、私に魔王を探すよう指示を出した老婆は、私に何も期待していない眼差しだったので、私は数十年かけてようやく彼女の鼻を明かしたと思った。
 忘れ去られたその石碑の横で、木漏れ日を楽しんでいるような表情のまま目を伏せていた魔王は、彼らの子孫の手で丁寧に丁寧に運ばれた。
 そして私は彼と共に、彼の体を囲む親族を見ていた。泣き叫んでいる者もいれば、夫の胸で大泣きをしている者もいる。小さき者はそれでも死というものがわかるのだろう。母親に似た顔でただ静かに彼を見つめ続けている者もいた。
 かつて私の半身を看取ったベッドに寝かされた彼は、黒髪を白へ変え、顔と細い手には彼が看取った人間の数だけ皺を刻んでいた。
「んじゃ、行くか」
 彼がそう言った。
 私は腰をあげる。誰も気がつかない。それでいい。
 彼に続いて部屋を後にする。私も彼も音を立てず、人がひしめく廊下で誰にも当たらず、堂々と玄関から外へ出た。
「さあて。何からするか」
 伸びをする彼を見た。
 日曜大工の村――開拓村という名前が他にも存在しているので、便宜上彼が命名し看板まで立てたのだが村人は誰一人として受け入れず今では魔王の村、と呼ばれている――には、誰一人として見当たらなかった。
 当然だ。みな、今私たちの背後の屋敷の中に集まっているのだから。
 耕しかけの畑と耕具、作りかけの日用品。全てが放置され、魔王の死へ群がっている。
 彼が、この村はいいよな、と呟き、そして私たちは村を出た。
 私たちは色々な町をめぐった。どこもかしこも魔王の死の話題に溢れていた。最後にと言って向かったのは元ローグタウンだった。彼が死を迎えたところは、ローグタウンだった頃から数十年がたったというのに新しい町の名前はつけられていない。
 今日の昼まで彼が座っていた石碑のそばに、四つの小さな石が置かれている。私が見ているそばで、彼は湖畔から同じくらいの石を拾い上げ、列に加えた。
 サルアは自らが事切れるところを邸宅の前で大勢の民衆に見せ、遺言を残したことで暴動を数年先延ばしにしてから死んだ、とか、エドは死期を悟りマキを置いて出奔した、今ごろ自分で掘った土の中にいるんじゃないか、とか、彼は石を視線で指しながら話した。
 そういえば共に旅をした少年の話は聞いていない。私は彼にねだった。彼がこの、魔王が魔王たらんとし魔王となった姿になってからと言うもの、意思の疎通が楽でいい。最も、以前から魔王との会話に不便を感じたことはないのだが。
「マジクか」
 苦々しそうな顔で彼は呟いた。四つ目の石を睨んでいる。
「あいつ40過ぎてから若い嫁をもらいやがって。エドやらマジクやらロリコンしか俺の周りにはいないのか」
 彼が私の頭にイメージを送りつけてきた。私は甘受する。
 あの頃の愛らしい少年の顔は面影もない、蒼白の老人が映し出された。確か魔王より年下だったはずだが、少年は魔王を追い抜いたのだ。
「平均寿命ってやつよりだいぶ長生きしたはずだ。ブラディ・バースの血のお陰か知らないけどな」
 あいつが老衰を迎えるなんて考えもしなかったとは言わないが――嫁が突然現れるまで考えもしなかった、と魔王は言った。そんな少年より長く生き先に死んだ彼は三つ目の石碑を見る。
「クリーオウは」
 私は彼を見上げた。魔王は初めて出会った頃の姿で、胸の黒いシャツを握りしめている。
「お前も知ってるからいいよな」
 私は頷いた。彼女は誰よりも――魔王自身よりも――先に魔王が歳を取っていないことに気付き、彼にこの旅を決意させたのだ。自分が死んだら好きに生きろ、と。
『ね、オーフェン』
 彼女は最後にその話をするとき、すなわち最期のとき、魔王を「あなた」ではなく名前で呼んだ。魔王と呼ばれた男は、そして魔王となるべく準備を始めたのである。
 
 
 
 
 
 
 目の前の海原を見ている。見えないほど向こうには私たちのかつての故郷がある。過去に彼が三度、彼女が一度、彼の姉夫婦が二度渡った海だ。
 彼は赤いバンダナを巻いた額を掻いた。黒い髪が海風に揺れる。妻が彼の旅立ちのために用意したかつての服は、かつての彼の姿によく似合っていた。
「おい、あそこ。魔王のとこの犬じゃないか?」
 男の声がした。私は振り返る。数人の男が私を指差していた。私は傍らの魔王を見る。
「んじゃ、間に合わなくなるのもなんだし、行くか」
 私は気前よく吠えた。
 彼を背中に乗せ、空飛ぶ船にでもなく聖域でもなく海へと飛び込む。背中に彼が乗るのは何十年ぶりだろうか。本当はこんなことをしなくても彼はどこにでも行けるのだろう。しかし彼女は彼に旅をしろと言った。だから彼は旅をしている。
 
 
 
「なあ、レキ」
 私は首を回した。私の背中で仰向けに転がり空を眺める魔王の足しか見えない。
「キースの財宝、惜しかったよな」
 それについては散々あの子と少年を弄り回したのだから忘れてもいいのではないか。
「まあ、だよなあ」
 彼が頭を巡らせたのがわかった。左手の彼方に小さく陸地が見える。何十年と昔に彼が散々探した島だ。仕事の合間を見つけては探しに来ていた。そして服をボロボロにして何度も彼女に叱られていたことを、私は知っている。
「あいつ、殺しても死なないのにな」
 彼がぼそりと呟いた。
 数日後、陸地が見えた。人気のない夜まで待ってから桟橋へ飛び上がる。彼を下ろしてから小さくなり、見回りの目を避けながら街へ入った。かつてのアーバンラマの町並みは、私にも彼にも馴染みのないものになっている。貧困層と呼ばれた街は未だにそこにあったけれど。
 ぐるりと迂回して、私と彼は夜のうちに街を出た。
 大きくなった街道は整備され、馬車も走りやすそうだ。その代わり身を隠す場所がない。私は犬だし彼も見えないからいいのだが、癖なのだろう。脇道の森へ入って眠れそうな場所を探した。
 樹のうろで私と彼はくっついて夜を明かした。彼は私が寝付くまで小さく歌を歌ってくれた。その歌は聞き覚えがあった。彼女が死んだ翌日に、彼女がよくいた食堂で、やはりそこにいた私の元に来た彼が歌っていた歌だった。
 色々な話をし、色々な歌を聴いた。しかしその歌は夜眠るときにだけたまに口ずさむ特別な歌のようだった。
「トトカンタは変わらねえなあ」
 最大の商業都市であり自治都市になった街は、多少変化はあったものの概ね彼の記憶通りのようだった。一番大きな病院に彼は入っていく。私も追いかけようとして職員に止められた。
「あ、ワリィ」
 小さくなった私を彼は抱き上げた。頭の上に乗せられる。そのまま病院に入り、最上階の個室へと到達した。
廊下にまで人が溢れている。その全員がかなり奇抜な格好だったが――。
 人混みを避けてベッドの足元に立つ。ベッドのすぐ横の椅子にはそろそろ出歩くこともしんどそうな老人が大鎌を持って座り、ベッドに横たわる赤毛の、か細い老人を見ていた。
「よう、迎えに来てやったぜ」
 寝ていると思っていた赤毛の老人の震える瞼が開き、同時に大鎌の老人が腰を浮かせた。赤毛の老人は骨と皮ばかりになった顔をくしゃくしゃにして、
「なんでお前なんだ」
 と存外はっきりした声で言った。大鎌の老人は赤毛の老人の視線の先を追って、壁を見て、いぶかしがっている。
「約束守って来てやったんだぞ」
「僕が約束したのは君じゃない。キリランシェロだ」
 魔王がキョトンとした。そして笑った。私はこのちょっと拗ねたような笑顔が好きだ。頭の上にいて見られなかったことが残念だ。
「そうだったな」
 言うなり魔王の姿が変わった。黒いローブに、首には剣に絡み付いたドラゴンのペンダントがかかっている。黒髪黒目の、幼い少年だ。少年は花が咲くような笑みを浮かべた、と思う。
「じゃあ、やりなおしでいい?」
「ああ」
「迎えに来たよ、ハーティア」
「ああ。お前はいつも何だかんだで約束を守る奴だったよ」
 魔王が体ごと伸ばした手に、枯れ枝のような手が乗って、そしてポトリと落ちた。その時にはもう魔王は背を向けていて、何人もの叫びや嗚咽は耳に入っていなかったようだ。
 以前言っていた、間に合わなくなる約束とはこれなのか?
「ああ。間に合ってなかったんだが、あいつが間に合わせてくれたよ。そういう奴なんだ」
 私は頷いた。
 彼は病院を出てからしばらくあちこちを歩き回った。さすがに焼け野原から復興された地域は昔の面影がなく、彼は目当てのものを見つけられなかったらしい。
「てっきりまた宿屋でもやってると思ったんだけどな」
 そう言った。
 
 
 
 
 
 
 そうして私と彼はあちこちを歩き回った。繰り返される戦争をいくつか見た。薪のように燃やされる死体を見る魔王の目は遠くを見ているようだった。そのうち、燃やすことさえできない規模の戦になると、夜中に彼がこっそりと燃やしていた。白く燃える、魔術とわかる火は、けれども火元がわからず怪談になったようだ。彼はそうして昨日掘った穴を今日は埋めて行く日々を送った。
 巨大な力を持った魔術士を見た。新しい構成に彼は目を輝かせて食い入った。そして実現させた。大陸の隅々を歩き回り、とうとう他になにも見るものがなくなり、ようやく彼はここへ来た。
 ずっと、避けてきた。ここへ来ることを。私は気付いていたが言わなかった。
「ここから始まった」
 《牙の塔》と呼ばれる建造物の先端に彼と私はいた。そして彼は呟く。
「もうここには何もない」
 姉も、甥も、姪も、家族も。そう続けてから彼は空を見上げた。私もつられて見上げる。日の入りまであと数分と言うところだろう。赤い。
「なあ、レキ。ケシオンが――魔王が言っていたこと覚えてるか?」
 何のことだろうか。あの男は小難しいことばかり言っていた。
「この大地は丸いんだと」
 ああ――私は頷く。魔王は私に向かって腕を伸ばした。私は体を大きくさせながら脇に滑り込み、彼の体を背に乗せる。
 長い長い集中のあと、彼の詩が始まった。私はゆっくりと浮かび上がる体から力を抜いて、その詩を聞く。私は思うのだ。この術の代償というものを。昔、空飛ぶ船でケシオンと呼ばれた魔王は彼に言った。彼は失うことに慣れすぎていると。だから私は思うのだ。彼の代償は失うことに慣れることが代償なのだと。
 そしてこの旅は、慣れた彼に再び与えることなのだと。彼女が私だけにそう言った。彼をよろしく、と。
 沈みかけていた夕日が再び見えた。やがて全てがはっきり見える。眩しい。足元を見た。塔はもはや私の足の爪より小さい。振り返る。蒼い瞳の魔王は、目が合った私を撫でた。
 
 
 丸い、彼の瞳のようなものがそこにはあった。彼の詩はまだ続いている。魔王のほんの少しの集中が切れれば私は弾け飛ぶ気がした。それも悪くはない。
「綺麗だな」
 彼のもうひとつの声がした。私もそう思う。
 首を巡らせる。光輝く星ももしかするとこのような人の暮らす世界を内包しているのだろうか。
「ははっ。別の世界から来た神にでもなりに行くか?」
 悪くはない。しかし良くもない。
「そうだな」
 私は頷いた。
「昔」
 ん。
「誰かが言ってたんだ。キエサルヒマ大陸はこの世界の本当に小さな小さな島だってな」
 私は世界を見た。どこがキエサルヒマ大陸なのか全くわからない。私たちの種族がキエサルヒマへ来たときの記憶はとうに薄れてしまったのだろうか。それとも、私には受け継がれなかったのか。
 魔王は、ここは寒いな、と言って私の背に体を寄せた。彼の術の中にいる私にはわからないが、彼にはわかるのだろう。不思議な感覚だ。
 寒いのならば帰ろう。
 彼は頷いて、詩を続けた。蒼い空に落ちながら、私たちは夢を見た。全てを元に戻す夢だった。塔のそばの林で彼が目覚めたとき、私は彼の頬に伝う水を舐めた。
 
 
 人間の魔王の存在が伝説になり、黒い悪魔が世界を彷徨うという噂がたった頃、一人の少年と出会った。
 その少年はしゃべらなかった。
 擦りきれそうな黒服やほつれをなんとか誤魔化しているジャケットを着て黒い犬をつれた中肉中背の、目付きが悪いこと以外にこれと言った特徴がない男に、少年は着いてきた。
 ここ最近は――私だけでは世界中の噂になってきてしまったので――彼も人に姿を見せている。だからたまにこういう厄介事が起きるのだが、魔王も慣れたようだ。
 少年は最近滅多に見なくなった金髪に、黒い瞳をしている。
「街に行きたいのか?」
 少年は頷いた。ここから一番近い街はタフレムだ。
「魔術士の国だぞ」
 少年は頷いた。
 彼は私に視線を送る。私は頷いた。
「んじゃ、明日送ってやるよ」
 少年が――喜びのあまり顔に赤みが差し、そして反射的に礼を言おうと口を開いたその瞬間、魔王は私と少年の間に入り叫んだ。
 少年から迸った白い熱波が森を巻き込み、消し炭にした。少年は己の口を押さえて蒼白な顔をして震えていたが、煙が消えた後に私たちが残っていたことでさらに驚愕していたようだ。
「なるほどな。声を出すと自然に構成がでて魔術が発動しちまうんだな?」
 涙目になった少年が何度も頷いた。
「で、牙の塔で制御の方法を学ぼうって思ったわけだ」
 その言葉を媒介として、彼は周囲を覆っていた高度の熱を冷やし、燻っていた火を消した。
 少年は再び驚きながら頷いた。
「あそこじゃその前に殺されるか死ぬか殺すかしちまうだろうよ」
 彼は正直に思ったことを話したようだった。少年は一瞬の間の後、またポロポロと涙をこぼし始めた。私は彼の手のひらに鼻先をくっつける。彼は皮肉げに顔をしかめ、ポリポリと頭をかきながら、
「まぁ、俺はもぐりの魔術士だが実力は今の通りだ。俺の弟子にでもなるか?定住もしねぇし金もねぇし資産は犬だけだが」
 涙で潤んだ目を何度か瞬かせて、少年は言われたことを飲み込もうとしているようだった。そして目を輝かせた。彼が名前を聞く。土に木の枝でかかれた名前は長ったらしく、舌を噛みそうな名前でどこか貴族っぽくしかしどこか貧乏そうな、少年に似合っているかと言われるとよくわからなかったが、魔王は私の好きな笑みを浮かべた。どうやら決心したようだった。
「俺はオーフェンだ。こっちは相棒のレキ。よろしくな」
 少年は嬉しそうに頷いた。
「あと喋れるようになったらこの将来ろくでもないヤツになりそうな名前をつけた親に文句のひとつでも言ってこい」
 よく言う。
 じろりと魔王が私を見た。
「んじゃ、行くか」
 彼と私と少年は歩き出した。少年が言葉少なに喋るようになっても、私たちは歩いた。少年が青年になって彼の背を抜いても、青年が彼の歳を抜き精悍さを備えるようになっても、私たちは歩き続けた。ある日魔王は言った。
「お前、どっかの学校にでも就職すればいいのに。教師向いてるんじゃないか」
 青年は困ったように首をかしげた。魔王の真意を探しているようだった。
「俺なんかの教え方でそんだけ制御できんだ。教えるの向いてると思うんだよな」
 魔王は青年に向き直った。私も足を止めて魔王の傍らに立ち、青年を見る。青年は悲しそうな表情を浮かべたあと、口を開いた。
「原大陸の」
「うん?」
「伝説の魔王が創立したと言われる学校に、あなたが推薦状を書いてくださるなら」
 推薦状なんて意味がない、とは彼は言わなかった。青年が欲しかったのは学校へ提出するための書類ではないとわかっていたからだ。
「・・・いいぜ」
 根負けしたのか、魔王は肩をすくめて見せた。それは青年に、自分を説明したようなものだったが、青年はやはりどことなく悲しそうな顔をしただけだった。
 
 
 
 
 
 
 私たちはまた一人と一匹で歩き出した。青年が去ってから彼はまた姿を消したらしい。私にはずっと見えているので気づかなかったのだが。彼との旅は不思議と、飽きなかった。人から見えていなくてもトラブルを招く体質なのだろう。表面的に対処するのは私なので、私の噂はますます広がるようだった。討伐隊が組まれたという話はまだ聞かないが。
 そういえば、原大陸の未開拓地へは行かないのだろうか。行き放題だろうに。
「そういうのは人間がやりゃいいんだよ。俺はそいつらの後を野次馬しに行くんでいいんだ」
 世界自身になった彼はそう言って笑った。私の好きな顔だった。
 私たちはしばらくして、再び繰り返された戦禍にいた。燃える人間たちは、何度見てもかつての魔王の仕事を思い出させる。どれだけ時が流れても変わらないものはあるのだろう。私たち種族もそうだった。
 その日、彼が私を撫でる手は空虚に満ちていた。魔王は消えたがっているのだろうか。ずっと昔、領主と呼ばれた者が住まう館で絶大な力を操っていたあの男のように、力を使い切れば消えると思っているのだろうか。
 わからなかった。だから私は言ったのだ。
 魔王よ。
「・・・ん?」
 消えたくなったら私も連れていけ。私の最後の願いだ。
 魔王が私の首筋にもたれ掛かった。圧し殺す必要の無い小さな嗚咽は、かつて聖域と呼ばれた森の空気に響くこともなく、私の毛皮へ吸い込まれていった。
 
 
 
 
 
 
 それから魔王に変化があったように思う。まず、姿を見せるようになった。厄介事に巻き込まれたら嫌々ながら手を貸すようになった。きっちり礼をたかるようになった。嘆息の回数は格段に増えた。
 これだけ時が流れても魔王術が一般に出回ることはなかった。それは魔王を少し喜ばせたらしい。ある日遭遇したヴァンパイアを眺めていたら、黒魔術だけで倒す集団を見つけた。魔術は進化しているようだ。彼は嬉しそうだった。
「大丈夫でしたか?」
 どこかの騎士団――騎士と言うことはどこかに王家が誕生したのだろう――と名乗った男が声をかけてきた。騎士団にありがちの威圧さがないその男に、魔王は私の首筋を撫でながら肯定した。その騎士は私を見て、魔王を見て、しばし沈黙する。駆け寄ってくる仲間を手で制して、突然その場に膝を折った。それは騎士の最敬礼で、数歩離れたところでこちらを見守る仲間たちが何事かと騒いだ。もちろん私の隣の彼も動揺した。
「な、なんだ?」
「私の父があなた方のことを一度だけ話してくれました」
「・・・?」
 控えている騎士たちに聞かれていることを考えてか、男はそれしか言わなかった。顔をあげた男を見て、私と魔王は何となく察した。
 魔王は照れ臭いのか迷惑なのか頬を掻いて、ああ、うん、とか生返事をしている。
 騎士の後ろから、若い兵士が恐る恐る声をかけた。
「あの、ブラディ・バース様」
「今行く」
 立ち上がった男を、魔王は大きくまばたきをしながら見上げる。私もその視線を追った。
「お前がそう呼ばれてるのか?」
「はい。私の父が校長に就任した際にその異名を与えられました。再来だと。わたしは父の足元にも及びませんが、今は私がそう呼ばれています」
 魔王はまじまじと男を眺めた。先程ヴァンパイアを戦闘不能へ追い込んだ手並みといい、誰かを思い出したようだ。
「そういや、あのヴァンパイアはどうすんだ?」
「ドラゴン・シマスのもとへ送ります。あの程度なら運が良ければ力を吸い取られるだけですむかもしれない」
「またヴァンパイアになったら?」
「そのときはまた倒します」
「・・・ははっ」
「面倒でしょう?こちらの死傷者は増すばかりです。・・・でも私はそれでもいいと思っています。・・・残酷でしょうか」
「ああ、残酷だな」
 肯定されて、男は微笑んだ。父が言った通りの人だと告げて、踵を返した。魔王は手を振って見送り私もその横で見送った。騎士団の姿は段々と遠ざかっていく。
「昔は」
 ん?
「世界の歴史が進む時の中にいた気がしたんだ。俺はそんなこと望んでなかったのに」
 そうか。
「実際に外にいるとこんな気分なんだな」
 不安か?見えないことが。
「いんや、それが全然」
 驚くほどに?
「ああ。ま、いつだって俺の意思なんて関係なく進んだしな。同じだった」
 そうか。
「なあレキ」
 どうした、魔王。
「次は何処に行こうか」
 私は豆粒よりも小さな騎士団の後ろ姿から、傍らの魔王に視線を移す。半眼でどこかひねくれたようなけれども楽しそうな笑顔の魔王に、私は、寝てから考える、と言った。
「それもそうだな」
 昨日も泊まった大木の根で、巨大化した私の腹に寄りかかった魔王は、そして静かに目を閉じた。
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