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 彼はその部屋へ入るなり、帰社の挨拶もしないままシンタローの胸元が開いたワイシャツを更に広げて鎖骨に噛み付いた。普段スーツを着ているおかげで昔より白くなった肌には未だ石鹸の香りが残っている。
 無頓着なシンタローの代わりに彼が購入した石鹸は、自宅ではなくこの執務室の隣の小部屋に設けられたシャワールームに置かれていて、そのシャワールームの用途は限られていた。
「いてーよ」
 苦情を無視し力をこめ、離す。青紫色の歯型の中央に残る小さな痕は依然としてそこにあった。
 食い千切れば良かったろうかと、彼は考える。
「さっきな」
 耳元からの声に顔を上げると、長髪を無造作に結ぶシンタローと目が合った。
「サービス叔父さんとジャンが来てたぜ」
「俺がいない間に三人でお楽しみか?」
「まさか。叔父さんにそんなお誘いするわけ無いだろ」
「・・・この痕は?」
 尋ねる彼の視線を部屋に渡されたロープにかけられた赤いスーツに誘導したシンタローが、デスクに腰掛ける。
「見ての通りずっとシャツだけだからな。虫にでも刺されたんじゃないか?」
「誤魔化すつもりがあるのかないのかわからんな」
 シンタローの後を追って、デスクに腕をつき、覗き込むようにして顔を寄せ、軽く合わせた唇を音を鳴らして離す。軽薄な笑みを浮かべるシンタローに、彼は自分が何か失態を演じたのだとようやく気がついた。
「お前が帰るのが遅いからだろ」
 その言葉を何度か反芻して、彼は眉間にシワを寄せた。
「研究に没頭しろと言ったのはお前だ」
「知ってる。でもグンマはここの研究所にいるし高松でさえ残ってるんだぜ?」
「研究のために外出していた私が悪いと?」
「研究するのは構わねえが離れていいなんて言ってねえ」
 つまり会えなくて拗ねていたのだと、言いたいのだ。ようやくそこまで読んだ彼は乱れた前髪を撫で上げた。
 現れた額にキスをしたシンタローが「おかえり」と口にしたので、彼はようやく「ただいま」と言うことができた。
「で?」
「ん?」
「相手は誰なんだ?」
「今日は高松」
「今日は」
「お前がいないせいだからな?」
「先ほど入り口で」
「ん?」
「グンマの写真が燃やされて泣いているドクターを見た」
「あちゃー。バレてたんかな?」
 小首を傾げるシンタローに、苦笑を返す。
 わかっていただろう。あわよくば叔父たちが手を出すのを待っていたかもしれない。そういう男だ。
「お前は俺がいても他の奴に誘われたら断らない男だからな」
「んなことねーよ?」
 殺してやりたいな、と呟くとシンタローはにんまりと笑って彼の頭に手を伸ばした。胸に引き寄せると幼子にするようにヨシヨシと頭を撫でる。
 彼はその逞しい胸板に唇を落とし、緩んだ腕から抜けて徐々に位置を下げていく。
 ベルトを外すと、シンタローがデスクから降りてブーツと下着ごと隊服を脱ぎ捨てる。石鹸の香りが濃く漂った。
 情緒もへったくれもない動作であるのに、彼はひどく興奮している自分を感じてシンタローの中心に顔を寄せた。
 しかしたどり着く前に頭を握られ引き離される。不快に思いながら顔を上げると、苦笑いを浮かべたシンタローが見下ろしていた。
「お前、自分じゃわかってねえと思うけどな。やりたくてしゃーねーって顔してんだよ。だからいちいちそんなことしなくていいから突っ込めよ」
「お前は少し情緒を学んだほうがいいんじゃないか?」
「――共有したい相手がお前じゃないだけだ」
 じゃあ誰なのかと、尋ねようと口を開いて、そのまま閉じた。思い出す。
 シンタローがそんな時間を過ごしたのは後にも先にもあの場所でしかないと、彼も知っているのだ。ほんの数週間前までいたところが、既に何年も昔に感じるのはどんな感情なのか。
 立ち上がり、唇を寄せる。離れると、照れ隠しなのかくすぐったかったのかわからない微笑がシンタローの顔に浮かんでいた。
「なあ、しようぜ」
「ああ」
 やはり雰囲気もなにもない誘い文句に乗り、シンタローの手を引く。ソファーに横たわるシャツだけの男はひどく寂しげな目をして彼を見上げていた。
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